紅の箱舟(アーク)

紅の箱舟(5)

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 地下の通路に、人の気配はない。カツンカツンと自分の靴音がやけに大きく響く。
 矢車はネクタイを緩め、ワイシャツの上のボタンをひとつはずして息をついた。こんなことなら、動きやすい服に着替えてくるべきだった。

 明かりを抑えた薄暗い通路には部屋がいくつかあり、そのすべてに鉄格子がはめ込まれている。どうにも、牢屋にしか見えない。

 シュンの姿を探して、矢車はひとつひとつ鉄格子の中を覗き込んだ。閉じ込められていたのは人間で。男もいれば、女もいる。
 だが皆一様に、無気力で死んだ目をしていた。矢車の姿を認めても、焦点の合わない虚ろな目を向けるだけだ。

(薬か、注射をやられたな……)

 彼らが『アダム』候補者なのかもしれない、と矢車は思った。
 人間をワームに変えるための実験体、なのだろう。

 牢の人間たちに気を取られていた矢車は、ふいに殺気を感じて振り返る。
 目は何も捕らえない。ただ気配のみ。

(クロックアップ!?)

 気付くと同時に背後から頭を強く殴打され、矢車はそのまま意識を失った。





 背中に当たるのは、硬質の冷たい感覚。妙に息苦しく、頭がズキズキと痛む。

「……なんの、つもりだ……」

 うっすらと目を開けた矢車は、自分が手術台に横たえられていることを知った。
 手足をベルトのようなもので固定され、動くことはできない。手術台のそばに立つのは、かつての上司だ。

「愚問だな。見れば分かるだろう」

 矢車を見下ろす三島の顔には、いつにも増して冷酷な笑みが浮かんでいる。

「光栄に思うがいい。お前も、我々の仲間入りだ」

 嘯いて、三島は常に掛けている眼鏡をはずす。

 今、自分が目にしている光景は、何なのか――。

 目の前の男が、緑色の異形へと変化していくさまを、矢車は呆然と見つめていた。声の出し方を忘れたかのように、ひとことも言葉を発せないまま。

「俺を……ワームに……する気、か」

 ようやく音を搾り出した喉は、カラカラに渇き、ひどくかすれている。
 人の姿に戻った三島は、眼鏡を掛け直しながら告げた。

「そうだ。お前は、選ばれた」
「選ばれた……? 誰に……」

 矢車の問いに、三島はチラと背後を顧みた。そこには、フードで顔をすっぽりと隠した人物がいる。

「我々の神、に」

 フードの人物は闇に溶け込むように、その場を去った。横目で見送るも、三島はそれ以上の関心を示さず、己の話に酔いしれる。

「神はノアに箱舟を作らせ、選ばれし者は死滅から逃れた。今の人の世も同じだ。人類は新たな神によってのみ、救われる」

 カルト教団の妄信にも似た三島の口調に、矢車は嫌悪感を覚えた。
 そのために、人間をワームに変えるというのか。

「……あの子は、どこだ?」

 静かな怒りが胸に沸き起こる。ZECTの行いは、許されることではない。

「アダムⅡなら、ここにいる」

 三島の合図を受け、傍に来るサナギ体のワーム。
 それが誰であるかを悟り、変わり果てた姿に矢車は自分の無力を呪った。
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