フレイアは笑わない

フレイアは笑わない(5)

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 ヴィーゲランの彫刻が立ち並ぶフログネル公園は、緑に囲まれ、観光客のみならず市民の憩いの場だった。
 ここに隕石が落ちたのは7年前。隕石の直撃を受けた地点は、現在も半径数メートルのすり鉢状の穴が開き、立ち入り禁止とされている。 

(命知らずなバカが)

 あちこちに転がる菓子の袋や空き缶に目をやり、矢車は心の中で毒づいた。
 隕石跡地は一種のホラースポットとして知られ、張り渡された黄色のテープを越えて立ち入る見物客が後を絶たない。
 入場料は命になりかねないというのに。

「渋谷廃墟のより、随分小さいね」

 影山は穴の縁に立って、下を覗き込んだ。
 穴の深さは3メートル程しかなく、渋谷廃墟とはまったく違う。地面を調べても、渋谷廃墟にあったような地下への開口部はどこにも見つからない。

「あ、兄貴、これ……!」

 土中から角がわずかに見えていた白い物を、影山は手で掘り起こした。観光客の捨てたゴミかと思ったが、汚れを払って思わず息を飲む。
 名刺程の大きさの、白いプラスチック製カ-ド。二人が持つものと同じ、ボーヒネン・ラボのIDカードだ。

「スタッフの人が、落としたのかな?」
「なんで、わざわざここで落とさなきゃならないんだ」

 カードを確認する矢車の表情が険しくなった。
 発行の日付は、半年前。簡単に掘り出せたことから見ても、埋まったのは最近に違いない。

「『コンラード・シェラン』……」

 顔写真の下に、持ち主の男の名前と医療チーム所属の旨が記載されている。
 矢車はIDカードをコートの内ポケットに仕舞い、真上にある太陽を仰ぎ目を眇めた。いつの間にか、もう正午に近い。

「そろそろ戻るぞ、相棒。どこかでメシでも食って……」
「スモークサーモン!」

 瞳を輝かせた影山が即座に提案する。
 昨日スーパーで食材や軽食を買い込んだものの、矢車は料理はしないと言い張り、結局ラボのカフェテリアで食事を済ませた。
 期待した手料理が望めないとなれば、食べ歩きを楽しむまでだ。

 率先して駆け出す相棒に呆れながら、矢車も後を付いていく。
 ライダーベルトを使わずに済んだのは、あくまで幸運。ワームはすぐ近くに身を潜め、機を窺っている気がする。
 よくない予感を振り払えないまま、矢車は隕石跡地を後にした。
 





 「やっぱ、これイケるね!」

 目抜き通りの評判のレストランに入り、影山はスモークサーモンのオープンサンドに舌鼓を打つ。

「これも食うか」

 ご満悦の相棒の前に、矢車は自分の分を皿ごと差し出した。

「食べないの、兄貴?」
「あまり腹が減ってない」
「……ふーん」

 影山は心配そうに首を傾げながら、サンドイッチに手を伸ばす。
 テーブルに右腕で頬杖を付き、矢車は影山が食べるのをぼんやりと眺めている。重そうな瞼には、疲労が色濃く表れていた。





 ラボに戻ってからは、時間は慌ただしく過ぎていった。
 矢車は会議のため研究棟へ、影山は治療のため医療棟へ向かう。

 医療棟は、ワーム化抑制治療に限り一般の外来を受付けていた。
 待合室で待つ人々の中には、老人や子供もいる。
 影山は、寄り添って座るノルウェー人の若い恋人たちに目を留めた。二人のどちらかがワーム化したのかもしれない。

 そんな風にしばらく周囲を見回しているうちに、診察室のドアが開き、影山の名が呼ばれた。

「こんにちは、影山さん」
「……どうも」

 机の側に立ち、白衣を着たフレイアが優しげな笑顔を向ける。
 診察室は病院特有の消毒薬の匂いが漂う。昨日会っているとはいえ、医者と患者の立場となれば勝手が違う。
 ラボでのワーム化抑制の治療がどんなものか、あれこれ考え、無意識に影山の体が強張った。

 患者の緊張状態は、フレイアにはすぐ分かる。
 どうしようかと首を傾げてから、黒いキャンディーを一粒影山の手に乗せた。 

「サルミアッキよ。おいしいから、食べてみて」
「え?」

 勧められたキャンディーは、治療とは明らかに無関係だ。
 訝しみつつ、キャンディーを口に入れたのだが。

 突拍子もない味に、影山は顔をしかめた。塩味とアンモニアのような刺激臭が舌から脳天に突き抜け、とんでもなく不味い。吐き出したかったけれど、フレイアの手前さすがに憚られる。
 冷や汗をかいて固まる影山に、急いでフレイアが水の入ったコップを差し出した。

「ごめんなさい。やっぱり、外国の人の口には合わないのかしら」
「っていうか、これ、ほんとに食べ物!?」

 水でなんとか喉の奥に流し込み、影山は涙目で訴える。
 張り詰めていた気持ちはどこかへ吹き飛び、素の言葉が思わずこぼれ出た。

 フレイアは苦笑して、サルミアッキを自分の口に放り込んで見せる。
 唖然とする影山の前に椅子を引いて座ると、彼女は医者の顔になっていた。

「それでは、始めますね。リラックスしていて、影山さん」
「治療って……、どんなことするんだ」
「おまじない、です」

 不思議な返事と同時に、影山の額にほっそりした白い手がかざされた。
 掌から温かいものが額に注がれ、やがて全身に行き渡っていく。体内のしこりが溶かされ、体がすっきりと軽くなっていく感覚。

(気持ちいい……)

 心地良さに身を任せ、影山は目を閉じた。



※白夜といえば、やはり不眠症(インソムニア)でしょう・・・。
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