始まりのアリス

始まりのアリス(4)

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 こんなことなら水着でも着ていればよかったと、影山はのろのろと足を動かす。
 太腿まで水に浸かりながら長時間歩くのは、結構苦痛だ。中までぐっしょり濡れて重くなった靴は、歩みをますます遅くさせる。

「お前、ネズミより遅いぞ」
「へ、ネズミ?」

 見れば、二人から少し離れた水面を一匹の小さなネズミが優雅に泳いでいる。
 ネズミは水の上に開いた壁の横穴を見つけ、素早く這い上がり奥へ入って行った。

「これ、外に通じてるのかな」

 水をかき分けながら、影山はネズミが消えた壁の方へ近づいた。穴を覗き込むと、明かりが見える。どこかへ通り抜けられそうだが、穴の大きさは半径30センチ程度。人間には小さすぎる。

「白ウサギの扇は持ってるか」
「あ、うん」

 影山は言われるまま、ポケットに押し込んでいた扇を矢車に渡した。

「いいと言うまで、目を閉じてろ」

 何をするつもりなのか、矢車は影山の左腕を掴みぐいと引き寄せた。
 戸惑う影山の視界は、矢車の掌に遮られ真っ暗になった。と同時に、ふわり、と風がそよぐ。扇が起こした空気の流れだと気づいたのは、そのすぐ後。

 風を受けた瞬間、体が浮遊した感覚があったものの、瞼を閉じている影山には状況がさっぱり分からない。
 もういいぞ、という矢車の声に目を開ければ、いつの間にか水のない通路にいた。

「ここら辺は、『アリス』と同じか」

 呆気に取られる影山の横で、矢車は先程よりも大きくなった扇を手にしていた。少し長めのその前髪からはポタポタと水滴が落ち、頭から全身ずぶ濡れになっている。
 ぐるりと囲む壁面はトンネルのようで、背後には長い廊下と水のプールがあった。

(こんな横穴、あったっけ?)

 廊下にはネズミが通り抜けた横穴の他、通路はなかったはず。そこまで考え、影山はごくりと息を飲んだ。

「もしかして、俺たち、小さくなった……?」
「ご名答」

 薄く笑い、矢車は扇を影山に返した。

 扇の大きさと比較するに、体がサイズダウンしたのは間違いない。着衣まで小さくなっているのはお約束として。
 膝上の高さだった水も、この大きさでは身長を超す。おそらく矢車は、影山を横穴に放り込んだ後、自らを小さくしたのだろう。

 後に扇を使った方が、水に落ちるのは必然。その役目を当然のように引き受けてくれた矢車に、影山は心の中で感謝する。口に出して伝えたところで、矢車は否定するに決まっているから。





 トンネルを抜けた先は、鬱蒼と木々が茂る森の中だった。

 今やウサギとほぼ同じ大きさの二人の眼前に、同様に水から逃れてきたらしい、ずぶ濡れの生き物たちがいた。
 オウム、カニ、アヒル、そしてネズミの姿もある。もっとも、ネズミの顔を判別できるほど専門家ではないので、先程のネズミかどうか定かではない。

「こっちに来てください。乾かしてあげますよ」

 何の警戒も持たず、ネズミが濡れネズミの矢車を手招きする。大きさ的に、仲間とみなされたらしい。
 前回までと異なり、ネズミも他の動物たちも皆日本語で話している。色々不可解ではあるけれど、とりあえず言葉が理解できるのは影山にはありがたかった。

 先を急ぐので、と矢車は丁重にネズミに断りを入れ、踵を返した。その後ろに影山も続く。

「兄貴、乾かしてもらえばいいのに」
「乾くか、あれで」

 振り返ると、ネズミが動物たちを集め演説を始めていた。

「何してるんだろ」
「ドライな話をしてるのさ」

 不条理に満ちた『アリス』の物語を思い返し、矢車は肩を竦めた。
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