始まりのアリス

始まりのアリス(8)

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 時刻は十九時を回っていたが、外はまだ明るかった。
 城の庭ではクロケーの競技が続いており、囚人たちの脱走を気に留める者はいない。

「急ぐぞ。『DRINK ME』を探す」
「……なんでさ。意味ないよ」

 影山は、迷いなく城へ入っていく矢車の背を見つめ不貞腐れた。
 先程の失望が、どうにも尾を引いている。

「ここはお前の夢だからな。お前自身で筋書きを決められる」
「そんなの」

(あり得ない)

 振り向いた矢車の視線から、影山は思わず目を逸らす。今までだって、決して自分の思い通りに事は運んでいないのに。

 何気なく学生服のポケットに手を入れると、柔らかな花弁の感触があった。ただの飲料水などより、まだ毒の方が現実に戻る見込みがありそうな気がする。
 ジギタリスをかじれば、あるいは夢から覚めたりしないだろうか。

「何か言いたそうだな。そこの、ニヤニヤ」

 城の大広間へ足を踏み入れ、矢車が背後を振り向いた。
 一体いつ現れたのか、彫像の上でチェシャ猫がニヤニヤ笑っている。

「『DRINK ME』のありか、教えてやるよ」

 こっちこっち、とチェシャ猫は、例によって消えたり出たりを繰り返す。
 矢車が軽く舌打ちをしてチェシャ猫の後を追いかけ、やむなく影山もそれに従った。

「ストップ。見つかるぞ」
「ひぇっ!?」

 急に矢車に腕を引っ張られ、思わず声が出てしまう。柱の陰に身を隠しそっと覗けば、槍を抱えた兵士が前方に見えた。
 幸い、兵士は二人に気付くことなく歩き去っていく。

 クロケーのためほとんどが庭に出払っているとはいえ、城内に残っている者もいる。チェシャ猫に案内されたのは、城の厨房。すなわち人間、もといトランプたちが一番多く集まっている場所だ。

 大鍋を火に掛けたり、皿を並べたり、忙しく立ち働くトランプの総数は十二人。
 二人は使われていない調理台の後ろで息を潜め、厨房の様子を窺った。

 中央の食器棚に、『DRINK ME』のラベルが付いたガラスの小ビンが並んでいた。数本空になっているものの、まだいくつか手付かずで残っている。

 料理人たちの会話によると、『DRINK ME』は、料理の味を絶品にする妙薬として使われているらしい。毒だと言いがかりを付けて没収したのは、女王が独り占めする口実だろう。

「何が妙薬だよ。あんなもん、どうすんだ」

 影山はうんざりという顔で自嘲気味に呟いた。
 そもそも白ウサギ自身、普通の飲み物と言っていたのに、どこからそんなでたらめが流れたのやら。

「大方、あいつが女王をそそのかしたんだろう」
「あいつって」

 矢車に聞き返そうとして、影山はぎくりとした。
 なんと、チェシャ猫がニヤニヤ笑いのまま厨房に入っていく。料理人たちは一斉に動きを止め、突然の珍妙な侵入者を見つめた。

「この薬、欲しいんだって。あの脱獄者たち」

 二人が潜んでいる方を指し示し、チェシャ猫が何食わぬ顔で暴露する。猫はすぐさま姿を消したため、残された二人が否応なく注視を浴びた。
 途端に、厨房は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。

 咄嗟に矢車は料理人たちを押し退け、『DRINK ME』のビンをひとつ棚から取り出した。

「持ってろ」
「え?」

 小ビンを学生服のポケットに押し込んで、影山の腕を引く。しかし城の外へ出ようとしたところ、走って来る大勢の足音に阻まれた。
 あっという間に、二人はトランプの兵士たちに取り囲まれてしまっていた。
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